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Legendary Races 伝説の一戦

高木虎之介が星野一義に一閃。日本レース界の世代交代を感じさせた1995年全日本F3000富士

カテゴリー:1995年全日本F3000 第8戦
サーキット:富士スピードウェイ
予選日:1995年10月14日(土)
決勝日:1995年10月15日(日)
予選 5番手/決勝 優勝

伝説的なレースの誕生につながる予選

前年の1994年後半にNAKAJIMA RACINGから全日本F3000選手権にデビューした高木虎之介は、参戦した3戦をすべてトップ10圏内で完走。そしてこの年、1995年は自身初のフル参戦となるシーズンをNAKAJIMA RACINGの64号車で戦っていた。第5戦スポーツランドSUGOで初優勝を飾ると、第7戦十勝スピードウェイで2勝目。当時21歳、のちにF1やINDYにも参戦する大器は、その能力をF3000フル参戦初年度から存分に発揮していた。

最終戦のひとつ前、第8戦の舞台は富士スピードウェイ。2005年以降とはコースレイアウトが違うが、長いストレートを有するのは同じで、1995年当時の方がより一層高速なレイアウトであった。虎之介はドライバーズランキング3番手、首位と7点差で第8戦富士を迎える。

当時は予選1回目が土曜、予選2回目は日曜(決勝日)の朝に行なわれていたが、気象条件等を鑑みて、多くの陣営が予選2回目を重視する戦略を採った。その予選2回目、虎之介は比較的早い段階で1分15秒895をマークして2番手につける。

しかし、その後のライバルのタイムアップで順位は5番手に後退、虎之介も再アタックしたがタイム更新ならず、予選は5番手で終えることに。チャンピオンを狙う虎之介にとっては少々不本意な予選結果だが、ある意味ではポールポジション発進でなかったことが伝説的なレースの誕生につながっていく。


多くの名勝負を生んだ富士のストレートで熱いバトルを展開

決勝レースは10月にしては暑いコンディションのもとでのスタートとなり、タイヤがカギを握る展開が予想された(当時はタイヤ交換とレース中の給油の義務がなく、緊急時以外のピットインはあり得なかった)。

ポールポジションからスタートした服部尚貴が大きく出遅れ、そのままトラブルでリタイアしていくなか、虎之介はオープニングラップを4番手で終える。ポイントリーダーのトム・クリステンセンがやはりトラブルで早々に戦列を去るという波乱含みな様相で始まったレース、虎之介は7周目と10周目にポジションを上げて2番手へ。約3秒前にいる首位は大ベテランの星野一義である。

虎之介が差を詰めようとすれば、星野が少し引き離す。星野がリードを広げようとすれば、虎之介も食い下がって大きくは離されない。お互い、タイヤに過度な無理も強いることができないなかで、3秒前後の差での緊張の攻防が続いた。

しかしレース後半、残り20周を切る頃から虎之介はさらにペースを上げ、本格的な星野追撃態勢に入る。そして残り5周、40周終了から41周目へと続くホームストレート〜1コーナーで、その瞬間がやって来た。日本のトップフォーミュラの頂点に長く君臨してきた星野に、若き虎之介が富士のロングストレートで堂々とパッシングを仕掛ける。そして1コーナー進入で見事に仕留めてトップへ。

これは虎之介がこのレースの首位に躍り出てシーズン3勝目をつかむことになっただけの事態ではなかった。

日本レース界に大きな意味での世代交代を告げ、かつて中嶋悟が現役時代に開いた世界への扉に続いて入っていってトップで戦える可能性をも有する人材が育つ時代が到来した、そういう意味さえももつ歴史的瞬間だったのである。多くの名勝負を生んできた富士のストレートが舞台であったこともまた、その意味合いを深くしたといえよう。

迫力に満ちたパッシングアクションに印象を奪われがちだが、タイヤにとってラクではない状況下のレースで、適切なタイヤマネージメントを実行できた虎之介の若さに似合わぬ精緻なドライビングスキル、そしてそれを万全なセットアップで彼をコースに送り出したNAKAJIMA RACINGのエンジニアリング能力、そういった部分も評価されて然るべき一戦だった。

虎之介はポイントリーダーに浮上して最終戦鈴鹿に向かうも、残念ながら戴冠は果たせなかった。しかし、翌年のフォーミュラ・ニッポンへのシリーズ名称変更を前にした最後の全日本F3000で高木虎之介が星野一義をパスした富士での戦いは、今も多くの人々の記憶に鮮烈に残り続けている伝説の一戦だ。

中嶋悟コメント

もう20年以上も前のレースですが、今でもはっきりと頭に残っているシーンの一つです。世代交代という言葉が誰しもの脳裏をよぎる瞬間だったことと、世代が異なる両者が譲れない熱いバトルを展開したことが、人々の心に残る伝説の一戦を生み出したと思います。



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