Legendary Races 伝説の一戦
サーキット:スポーツランド菅生(3,704256km)
決勝日:1995年7月30日
トラック:ドライ
予選:ポールポジション/決勝:1位
1994年、全日本F3000第7戦に若手育成の一貫としてF3ボーイズがスポット参戦。その年のF3上位ランキング3名が日本のトップフォーミュラクラスでどんな走り見せてくれるのか、楽しみなレースとなった。
その中の一人の高木虎之介選手もF3000マシンでの初レースを見事完走、残りの2戦にも参戦し、すべてシングルフィニッシュ、非凡な才能を見せ、翌年のNAKAJIMA RACINGのシートを得ることになった。虎之介選手は1995年の開幕戦鈴鹿を7位で完走。新人とは思えないクレバーな走りを見せた。第2戦富士は悪天候で中止となり、第3戦MINEでは予選10位から粘り強い走りで5位入賞、フル参戦3戦目で早くもポイントゲット。そして、第5戦菅生の予選ではポールポジション獲得、速さの片鱗が開花した。さらに、F3000ポールポジション最年少記録も更新した。
迎えた決勝日は気温35度、路面温度50度にもなり、マシン&ドライバーともに厳しい暑さの中でレースがスタート。ポールポジションの虎之介選手は少しホイールスピンをしたが無事に1コーナーをトップでクリア、後続ではアクシデントが発生しオープニングラップでトム・クリステンセン選手、影山正彦選手がリタイア、さらに星野一義選手もマシントラブルでストップした。序盤は虎之介選手と鈴木利男選手とのマッチレースとなり、じわじわと利男選手に詰められ、早くもメインストレートでスリップに入られ1コーナーで前に行かれてしまった。利男選手には前に行かれてしまったが、虎之介選手は焦ることなく安定したペースで単独2位を走行。レースも中盤戦にさしかかる17Lap目にドラマは起きた。トップを走っていた利男選手がハイポイントコーナーで突然スピン、コースアウト、マシンストップしてリタイアしたのだ。厳しい暑さの中に僅かなミスが勝敗を左右する難しいレースとなった。
利男選手のリタイアによりトップに立った虎之介選手は卓越したレース運びでミスなく最後まで走り切り、2位に31秒ものビハインドを築き見事にF3000初優勝を飾った。
このレースが、中嶋が監督になってからのフォーミュラレースでの初勝利でもあった。
中嶋に初勝利をプレゼントした虎之介選手の走り、これも伝説の一戦だ。
94年の後半戦から始めた若手育成の効果が現れた1戦となりました。そのチャンスを結果に繋げた虎之介選手、そして、チームとしての初優勝が出来たことが、良かったです。