Legendary Races 伝説の一戦
サーキット:MONZA(5.800km)
決勝日:1990年9月9日
トラック:ドライ
予選:14番手/決勝:6位
3年間のロータス生活からティレルに移籍した1年目の中嶋悟。この年のティレルはフォードDFR V8エンジンを搭載し、ピレリタイヤを履いた旧型マシンのティレル018でシーズン開幕戦フェニックスに臨み、中嶋は6位入賞と幸先よいスタートをきった。
その後チームは第3戦サンマリノで革新的なマシンを登場させる。フロント・ノーズを極端に上げ、その分ウィングに下反角を付けたコルセア・ウイングをもつティレル019だ。この特徴的な外見をもつマシンはジャン・クロード・ミジョーとハーベイ・ポストレスウェイトが長年温めてきたアイデアで非力なV8エンジンでも多大なダウンフォースを得るというもの。
シーズンも後半戦に入りここ6戦エンジン不調等のリタイアが続いた中嶋。復活をかけ迎えた第12戦イタリアGP、予選は14番手、V8エンジンの中では5番手につける。クルマの調子は悪くないのでなんとか完走すればいい位置にいけると思っていた。
迎えた決勝レースは波乱のスタートとなりロータスのウォーウィックが高速コーナーのパラボリカでアウトに飛び出しタイヤバリアに激突しコース中央にマシンが戻って赤旗中断。ウォーウィックは自力でマシンから脱出しスペアカーに乗り込んだ。レースは再スタートがきられ中嶋は無難にスタートをしたが、オープニングラップで後ろのミナルディのマルティニにかわされてしまう。しかし、翌周にオーバーテイクして元のポジョンに戻ることに成功、そしてここから中嶋の長い戦いが始まった。5Lap目には13番に上がるも8Lap目にレイトンのカペリにかわされ再び14番手にダウン。だが13Lap目には第1シケインでロータスのウォーウィックを綺麗にオーバーテイク、着実に順位を上げていく。レースも半分を終えた頃にはポジションは9番手。そして、37Lap目にはベネトンのナニーニを抜いてポイント圏内の6位にポジションをアップした。その後単独走行となっての46Lap目には自己のファーステストラップを刻み、長い54Lapを走りきり6戦ぶりに完走、チームに貴重な1ポイントをもたらした。長い泥沼の中から復活し、粘り強い走りでチームにとっても7戦ぶりのポイントで、中嶋にとっても開幕戦以来の入賞となった。
灼熱のモンツァで見せた復活のレース、これも90年の伝説の一戦だ。
この時は、約半年ぶりのポイント獲得になりました。モンツァでは我々のクルマではスピードが足りなかったのですが、旨く上位のクルマについていくことができ、入賞することが出来て良かったです。入賞圏内を同じ日本人の鈴木亜久里選手と数十ラップ以上争った厳しいレースでした。