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シリーズ名:2001年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN) |
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6番手グリッドから粘り強く走った松田次生選手が5位入賞でポイントゲット!
ファステストラップをマークしたラルフ・ファーマンは惜しくもリタイア |
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国内各地からは大雨のニュースも伝えられる中、最高気温は30度を超えて真夏日となった6月30日〜7月1日、三重県にある鈴鹿サーキットでは2001年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN)のシリーズ第5戦が開催された。 全10戦が予定されているシリーズの前半戦を締めくくる今回は、鈴鹿サーキットの東スペシャルコースが舞台。通常のフルコースでは、S字から逆バンクをリズミカルに抜け、ダンロップコーナーを一気に駆け上ってデグナーカーブを目指すのだが、この東スペシャルコースではダンロップカーブを登り切るとすぐにショートカットで右に急旋回、シケインの手前でフルコースに合流する、ドライバーにとっては一瞬たりとも気の抜けないハードなコース。 もちろんマシンにとってもフルブレーキングと全開加速が頻繁に繰り返される難コースとなっている。 チームは、シリーズ後半戦に向けてジャンプボードとすべく、意気揚々とサーキット入りした。 走り始めとなった土曜日は、曇り空の下、ウェットコンディションで明けた。朝一番の公式練習ではウェットコンディションが残っていたが、午後の公式予選ではドライに変わること明らかだったから、2人のドライバーはマシンのコンディションをチェックするに留まった。 予想通り、公式予選は2回のセッションを通じてドライコンディションで争われた。 1回目のセッションで、マシンの最終セットを煮詰めていった2人のドライバーにとって、勝負所となったのは、やはり2回目のセッションのラスト10分。セッション中盤にまずまずのタイムをマーク、最後の勝負に懸けていた2人だが、全長約2.8kmと、シリーズ戦の中でも最も短いコースに、20台を超えるマシンがアタックに入るだけに、コース上の混雑ぶりは予想以上。結局、ともにファイナルアタックではクリアラップがとれず、松田選手が6番手、ファーマン選手が8番手に留まってしまった。 パッシングポイントが少ないことを考えれば、非常に厳しいポジションだが、決勝の周回数は72周と多いので、逆転のチャンスも出てくるだろうと、スタッフはマシンの最終チェックに余念がなかった。 日曜日の決勝レースは午後2時半から。 薄曇りだが気温は30度を超え、マシンにもドライバーにも一層ハードなレースになることは容易に予想できた。スタートダッシュは2人とも上々で松田選手が4番手、ファーマン選手も6番手、とともに2つポジションを上げてオープニングラップを終えることになる。 その後、松田選手は、予選上位だった立川祐路選手にかわされ5番手に後退したが、ファーマン選手とともに5、6番手をキープしていた。 レースが序盤から中盤に移ろうとする19周目終了時点でファーマン選手がルーティンのピットイン。 チームスタッフが素早くタイヤを交換し、最小限のタイムロスでファーマン選手を再びコース上に送り出したが、不運なことに無線が交錯して松田選手も続いてピットイン。 通常のフルコースなら2分近い時差が生じるのだが、この短い東ショートコースでは1分弱。 ピット前で2台が交錯することを懸念したか、松田選手のインラップに大きなタイムロスがあった。 それは上位陣のタイヤ交換が総て終わった時点でファーマン選手が4番手に進出していたのに対して、松田選手が6番手まで後退していたことからも明らかだ。 さらに不運だったのは、このレースのベストラップをマークしながら、4番手からなおも上位をうかがっていたファーマン選手が、マシンのホイールナットが緩むトラブルに見舞われてレースを諦めざるを得なかったこと。それでも残った松田選手は最後まで粘り強く走りきり、5位入賞で2ポイントをゲットした。 |
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■PIAA NAKAJIMA RACING総監督中嶋悟のコメント |
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※次戦は、7月28日〜29日、宮城県スポーツランドSUGOで開催されます。 |
Round4 |