シリーズ名:2001年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN)
大会名:第2戦・ツインリンクもてぎ/ミリオンカードカップレース
距離:4.801km×45周
予選:4月21日 曇り   ・観衆: 5100人(主催者発表)
決勝:4月22日 晴れ  ・観衆:2万0000人(  同  )

松田次生、予選5番手から着実な走りで3位 表彰台をゲット!
トップを快走したラルフ・ファーマンは、トラブルで惜しくもリタイア
 北上する桜前線を追って、新緑がどんどんと色濃くなってき始めた4月21〜22日、栃木県にあるツインリンクもてぎでは、国内最高峰に位 置づけられる2001年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN)のシリーズ第2戦が開催された。
『21世紀 日本一速い男決定戦』をキャッチフレーズにする今シーズンのFNだが、99年、そして2000年と2年連続してダブルタイトル(=ドライバー&チーム)を獲得してきたPIAA NAKAJIMA RACINGとしても3年連続のダブルタイトル奪取が最大の目的だ。
 エースドライバーの松田選手にとってこのツインリンクもてぎは、昨年、フル参戦2レース目にして初の表彰台をゲットし、またF3時代には優勝したこともある“ゲン”の良いサーキット。
チームとしても大いに意気を高めてのサーキット入りとなった。
 走り始めとなった土曜日、朝一番の公式練習では松田選手が24周、ファーマン選手が23周、と他のチームよりも多めの周回をこなしながらセッティングを確認する。
タイム自体はファーマン選手が1分35秒台で7番手、松田選手は36秒が切れずに10番手に留まったが、フィーリングもまずまずで、午後の予選に期待が高まっていく。
その公式予選は1回目が午後2時5分から、2回目が午後4時から、ともに45分間のスケジュールで実施される。
1回目で、それぞれ34秒9と35秒1まで詰めたファーマン選手と松田選手は、勝負所となる2回目のセッションで1分34秒721、34秒838まで詰めファーマン選手が4番手、松田選手が5番手のグリッドを奪うことになった。  曇り空で明けた日曜日は、決勝が近づくにつれてどんどんと晴れ間が拡がっていった。
多くのファンで賑わったピットウォークを終えると、いよいよ決勝レースのスタート進行が開始される。
ファーマン選手は上々のスタートダッシュを見せたが、松田選手は一瞬出遅れてしまう。
それでも1〜2コーナーでは頑張って、先行したマシンを抜き返してグリッド通 りの5番手に復帰する。
3番手でスタートしていった野田英樹選手が早くも5コーナー先で脱落、ファーマン選手と松田選手は労せずして3、4番手に進出してオープニングラップを終えた。
フロントローからスタートした本山哲、脇阪寿一両選手は快調に先を急ぐが、これをファーマン選手と松田選手が、やはりハイペースで追走する。
チームメイトの2台がテール・ツー・ノーズで争う状況となったために、ピットでは早めにタイヤ交換を行うことにして11周を終えたところで松田選手がピットイン。
素早くタイヤ交換を終えてピットアウトしていくが、インラップとアウトラップのタイム差が響いたのか、次の周にタイヤ交換のピットインを行った服部尚貴選手にかわされてしまう。
 一方、3番手で好走していたファーマン選手も16周を走り終えたところでピットイン。
こちらも素早くタイヤ交換を終え、服部選手の上位でピットアウトすることに成功した。
そうこうしているうちに、トップの2台にフライングスタートのペナルティが課せられることになり、これでファーマン選手は事実上のトップに躍り出ることになった。
そして上位陣が全車タイヤ交換を終えた時点ではトップを快走していたファーマン選手だが、終盤に入ったところで惜しくも燃料系トラブルで万事休してしまう。
中盤以降、3番手で着実に走った松田選手は、昨年と同様に3位でチェッカー。シーズン初の表彰台をゲットした。

■PIAA NAKAJIMA RACING総監督中嶋悟のコメント
「ラルフ・ファーマン選手は、残念な結果となってしまいました。松田選手は、3位 表彰台を獲得することが出来ましたが、多くの課題が見つかったレースとなりました。混戦模様の今シーズンですが、チーム一丸となりチャンピオン獲得に向け最善を尽くします。」

※次戦は、5月19日〜20日、山口県セントラルパークMINEサーキッで開催されます。
Round1


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