1992年
現役を退いた中嶋悟を核として、この年より新しいチーム活動が開始される。
具体的には、前年にイギリスでレース修業していた中野信治選手をPIAA F3000ドライバーとして起用するとともに、全日本F3選手権においても同選手を出場させる。
また、市販乗用車をベースとした競技車両で行なわれるツーリングカーは従来のグループAレースに代えて、最も少ないレース距離で300km、最長レース時間にいたっては12時間というN1耐久シリーズにホンダ・プレリュードで参戦。
佐藤浩二/五藤久豊選手は、ナイター12時間耐久初出場ながらクラス優勝を獲得。
1993年
PIAAのスポンサー支援がさらに強化されたこの年のF3000にはPIAAカラーのマシンが2台参戦。
ドライバーは影山正彦選手とルーキーの檜井保孝選手。
ツーリングカーは引き続いてプレリュードで参戦し、こちらはベテラン格となった佐藤浩二選手と、光貞秀俊選手を若手として起用。
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