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Legendary Races 伝説の一戦

NAKAJIMA RACINGにとって初となるフォーミュラ・ニッポン2冠独占!

カテゴリー:1999年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン 第2戦
サーキット:ツインリンクもてぎ
予選日:1999年5月8日(土)
決勝日:1999年5月9日(日)
#64(トム・コロネル):予選 1位/決勝 リタイア
#65(光貞秀俊):予選 3位/決勝 優勝

開幕戦に続き、表彰台を占めた3人が先陣争いを展開

1999年のフォーミュラ・ニッポンは、例年にも増して波乱に満ちた幕明けとなった。当時のフォーミュラ・ニッポンのシャシーはレイナード、ローラ、Gフォースによる競合で、日本では新興だったGフォースは台数的に少なく、大枠としては全日本F3000時代と同様にレイナード、ローラが2大勢力という構図になっていたのだが、1999年シーズンに向けての合同テストが始まると、レイナード製の新型シャシーが圧倒的に優位であることが明らかになったのだ。

これはNAKAJIMA RACINGなどが使用する「レイナード99L」が優秀なこともあったが、「ローラB99/51」があまりに不出来だったことがもたらした状況ともいえた。両シャシーのパフォーマンス差は、それまでの常識からはかけ離れたくらいの大差となってしまい、やがてシーズンが進むにつれ、ローラ勢のチームも続々とレイナードに切りかえていく異例の流れにもつながっていった。

1999年のNAKAJIMA RACINGはトム・コロネルと光貞秀俊というドライバーコンビでフォーミュラ・ニッポンに臨んだ。1997年全日本F3王者のコロネルはフォーミュラ・ニッポン参戦2年目で、チーム在籍も2年目。一方光貞は1997年に当時の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で負傷し、リハビリを終えた1998年の国際F3000にて復帰を果たし、この年は2年ぶりの国内トップカテゴリーへの参戦となった。

光貞はNAKAJIMA RACINGでフォーミュラ・ニッポンを戦うのは初めて。高い実力を認められた選手であり、チームがレイナードを最初から有していることも好機に、王座を目指す意欲に満ちてのシーズンインである。

開幕戦鈴鹿ではコロネルが2位、光貞が3位でダブル表彰台という上々のスタートを切り、NAKAJIMA RACINGは第2戦の舞台ツインリンクもてぎへと勇躍、乗り込んだ。

シーズン序盤、当然ながら焦点はレイナード勢による主導権争いだった。速いとはいえ未知数の新車のセットアップを素早く煮詰め、ライバルに先んじておく必要がある。また、当時もてぎは開場3年目であり、他のコースほどの蓄積データはどのチームにもまだない。つまり、この第2戦に関してはニューマシンだけでなく、コース攻略も勝利のカギとなる戦いということになった。

そのなかでまずはコロネルが予選で幸先良くポールポジションを獲得、光貞も3番手と、NAKAJIMA RACINGは2台揃って決勝に向け好位置につける。予選2番手は開幕戦優勝者、前年チャンピオンでもある本山哲(Team LeMans)。開幕戦で表彰台を占めた3人が第2戦もてぎでも再び先陣争いを展開する、そんな構図となったのである。


光貞が自身初のフォーミュラ・ニッポン初優勝を達成

決勝レースのスタートでは本山が先制し、コロネルが2番手、光貞が3番手から追う展開に。コロネルは本山を逃すまいと僅差で追いかけ続けた。ところがレースが3分の1を終えようかというところでコロネルのマシンに燃料ポンプのトラブルが発生、無念のリタイアとなってしまう。

しかし、代わって光貞が二の矢となり、トップ本山を追う。光貞は5秒近くあった本山との差を詰めていく。そして32周目の第5コーナーでアウト側から本山に仕掛けた光貞は、見事にこのオーバーテイクを完遂、首位に立つのであった。

光貞はその後、本山の反撃から懸命に首位を守り続けた。コンマ5秒差で最終ラップ(45周目)を終え、自身初のフォーミュラ・ニッポン初優勝を達成――。光貞の攻撃的な姿勢と、それを支える確かな力量が光ったレースであった。

そして、ニューマシンをいち早く手なずけて光貞とコロネルが高いパフォーマンスを発揮できる土壌をつくったNAKAJIMA RACINGの技術力の確かさが際立ったレースでもあった。レーシングチームに要求される能力、早い段階でマシンを速くする「早く、速く」をチームが実践できた証左の一戦だった。

この年、NAKAJIMA RACINGはコロネル3勝、光貞2勝で計5勝をあげ、コロネルがドライバーズタイトルを獲得、光貞もシリーズ3位に入って、チームチャンピオンをも獲得することになる。NAKAJIMA RACINGにとって初のフォーミュラ・ニッポン2冠独占。

そしてここから2002年までの4シーズン中、3シーズン(99、00、02年)で2冠獲得という偉業を達成することになる。1999年フォーミュラ・ニッポン第2戦もてぎでの光貞初優勝は、そのシーズンの彼とチームの活躍だけでなく“黄金時代”の始まりをも告げる勝利だった。これも伝説の一戦だ。

中嶋悟コメント

この年は、中嶋企画として初めてチャンピオン獲得となった記念すべき1年でした。今とはまったく状況は違いますが、拮抗するチャンピオンシップを2台がうまく勝利を収めてくれたおかげで、素晴らしい1年となりました。その象徴と言える一戦だったと記憶しています。



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